COLUMN

【公式コラム】

【コラム】身代わり申とレモネード

【コラム】身代わり申とレモネード

著者 岡村 元義

2024年9月27日

出合い

 3連休の中日、妻と古都奈良を訪れた。日本の寺院発祥の寺である元興寺に参った後、古い町並みが残る奈良町界隈を散策した。あちこちの町家の出格子の軒先に赤い人形がぶら下がっている。「庚申さん」のお使いの申をかたどったお守りで災いを代わりに受けてくれる「身代わり申」と呼ばれている。この夏は猛暑で9月を半ば過ぎたというのに太陽がじりじりと照り付け、どこか避難できる喫茶店がないかとうろうろしていた。

 とある町家の前に女性が2人立っていて「こんにちは、冷たいレモネードはいかがですか」と呼び止められた。迷わずレモネードを2本買った。はたちぐらいの女性が「私たち、小児がんの子供たちを救う活動をしています」と言った。元気はつらつで可愛らしい女性であったので、「色々活動ご苦労様です」とその女性をねぎらったところ、「私も小児性白血病でした」との言葉が返ってきて思わずその女性を見返した。大病を経験した苦労などみじんも感じられなかったからである。

 小児性骨髄白血病(AML)は難病である。かつて未成年の白血病はほとんど治すことができず、放射線治療や化学療法に耐えられる体力を持つ子供に治療が限られており、治癒率も低かった。放射線療法や化学療法はがん特異的な治療法ではなく、寛解しても再発し、治療、再発を繰り返しながら大部分の子供たちは15歳ごろまでに亡くなっていく。

「どういう治療を受けたのですか?」私が訊ねたところ、「母から骨髄をもらったんです」と返ってきた。彼女の後ろで母親が優しく立っていた。

 母親とHLAが一致したため、母親からの骨髄移植を受けたそうである。現在は年に1回の検査を受けているが、再発の兆候はなく健康に問題ない。それで明るく元気な表情になっているのだとわかった。

 レモネードスタンドの発祥はアメリカで、子供の金銭教育としてレモネードを販売するスタンド(屋台)を出す非営利活動である。このレモネードスタンドと小児がん治療支援を合わせた募金活動が国内でも進められてきたが、当初の募金目標額に達したため、今年の6月に募金活動は終了している。しかし毎年小児がんを発症する子供たちが出ているので、自分が生かされている幸せを知ってもらいたいとの思いから、地元の奈良町でレモネードスタンドを出し続けているという。

小児がん治療の現状

 小児性骨髄性白血病(AML)や急性リンパ性白血病(ALL)の治療法として2019年にCAR-T治療用再生医療等製品キムリアが承認されて、小児がんの治癒成績を上げてきている。2024年4月現在のキムリア点滴静注の薬価は3264万円。2019年の承認当初より保険適用となり、高額療養費制度も適用されるため、年収770万円以下の患者の場合自己負担は41万円ほどとなり1)、治療代を気にすることなく治療に専念できる状況にはなってきている。CAR-T治療は自家細胞を用いた再生医療として今後普及が期待されるが、CD19を発現するがん細胞(Bリンパ球)でないと治療効果が出ない。自己の血液からT細胞を取り出し、T細胞を活性化させ(CAR-T)、細胞培養法により活性化T細胞を増やして患者に戻すまでに数カ月の期間を必要とする2)。小児がんの子供たち全てを救うには、CD19を発現しない血液がんへの治療法の拡大、そしてもっと安価に治療が受けられるCAR-T治療技術の改善とCAR-T治療ができる医療機関をもっと増やすことが普及の大きな課題として残っている。

骨髄移植の必要性は全く変わっていない

 一方、奈良町で出会った女性は母親からの移植による治療である。わが国における白血病治療のための骨髄移植は、1963年に大阪成人病センターで治癒例を経験してから、白血病治療にひろく使われだした。成人白血病の5年生存率は、骨髄移植前の0.5%から、1984年ごろには10.7%と飛躍的に上がった3)。治療費に関しては、骨髄移植は保険適用であり収入が低い場合には患者負担金の免除が受けられる。

 ただし骨髄移植が受けられる条件は、ドナーとの組織適合性抗原(HLA)型が一致することである。HLA型の適合率は血縁家族で4人に1人(25%)であり、親子であっても必ずしも骨髄移植できるわけではない。血縁関係がないと数百人から数万人に1人の確率とされている5)。奈良町で出会った女性の場合、母親のHLAが一致したので一番安心できる移植法を選択することができた。

 骨髄移植の課題はさらなる移植後の生存率の向上である。2023年度の厚労省の調査報告書6)によると、移植実施の診断技術の向上やドナー登録数の増加により移植後の生存率が向上したとはいえ、他のがんと比較しても死亡率は高い方に属する。2013年から2022年の10年間に15歳以下の急性骨髄性白血病に対する移植後5年生存率は、血縁者間骨髄移植(161例)で62%、非血縁者間骨髄移植(140例)で66%と全く変わらないという予想外の結果を見て失望した。HLA型が同じである親が子供の急性骨髄性白血病の治療に自分の骨髄を移植したとしても、移植後5年のうちに40%のわが子が亡くなってしまう現実があるのだ。奈良町で出会った親子が移植後10年近くも幸せな親子の生活を送れているのは決して当たり前のことではないのだ

 レモネードを手渡してくれた女性の笑顔に救われたと同時に、新モダリティ医療を進めているわれわれにはまだまだやることがいっぱいあるな、と改めて思った。

参考文献
1.厚生労働省保健局、高額医療制度について 平成22年7月14日第38回社会保障審議会医療部会資料.
2.日本造血・免疫療法学会HP
3.正岡徹、回顧録 骨髄移植の歴史、日本造血細胞移植学会雑誌第7巻1号, 2018.
4.公益財団法人日本骨髄バンク、患者負担金(国内) 2022年12月.
5.特定非営利活動法人 全国骨髄バンク推進連絡協議会HP、骨髄バンクと骨髄移植のしくみ.
6.厚生労働省、日本における造血細胞移植・細胞治療2023年度全国調査報告書, 2023.